創作「時差」

俺があいつを殴ったのはちょうど2日前の夜で、その時は緊張から浴びるように酒を飲んだので、今となっては記憶はあいまいだけど、俺がひどくむかついたことだけは覚えている。あいつは俺が緊張すると白目になる癖を笑って真似た。俺は昔から緊張するとその緊張をごまかすために顔を45度下に向けて、目はそこから90度上に向ける、という癖がある。俺はその日初めて友達に誘われてクラブに行くことになった。クラブっていう場所に興味はあったんだが、どうも一人じゃ不安っていうか、持ち物とか過ごし方とか帰り方とか遊び方とかハウツーがわかんないから。こういうのは慣れた人と最初に行くのがセオリーだろう。そんな俺の不安定な心をあいつはケラケラと笑いやがったから、赤ワインの瓶で力任せに殴ってやったんだ。そしたらもちろんあいつは倒れて、苦しそうに呻いて、周りはさーっと静かに引いて、DJも音楽のボリューム落として、おいおいお前の仕事は音楽を掛けることだろうって、なぜか俺そんときDJにも殴りかかろうとしたんだけど、救急車って大声で叫ぶやつがいたらから、刹那ふと我に返り、でも我に返っただけでボーっとしていたわけだ。俺がその時考えていたことは、これからこの事件のことをいろんな人にいろんな方法で聞かれるだろうから、うまく話せるようにしておこうということで、酒を飲んでいたから記憶はあいまいなんだけど、救急車を呼ぶ声をきっかけに完全に澄み渡った俺の脳内世界の中で、出来事のブロックを順番に積み上げて、どうやって説明するとわかりやすいだろうかと頭をひねっていた。

その次の記憶は取り調べの最中で、クラブの入り口で二人の警察官に取り調べをされていたわけだけど、到着までに結構な時間がかかったので、俺はそうそうに積み上げたストーリーを何度も頭の中で反芻、結果としていい淀みなく話すことができるようになっていた。警察官を前にして白目の癖が出ないかと緊張する瞬間もあったけれども、いざ取り調べの最中は練習の甲斐もあって、ほぼ自分の顎がストーリーを話す際の動きを形状記憶しており、ほとんど筋肉の痙攣だけで話すことができた。なので、その瞬間俺の意識は自由になり、警察官がなぜ冬場にこんな上等な上着を着ているのか、それを賄う金はどこから出ているのか、消費税なのか、消費税だとしたら値上げしたのはこのためだったのか、そんなわけないか。と、無意味な空想に耽っていた。その後のことはよく覚えていない。

あいつは今寝ている。今が何時であろうと関係ない。時間を知る必要はない。なぜならあいつはいつだって寝ているのだ。俺があいつを殴った日からずっと寝ているのだ。この2日間俺は腹の底にこれまで食べた一生分の食事が溜まっているような気がして、空気を吐き続けた。食べてもいない食べ物の形を永遠と吐いていた。俺はあいつのことを心配なんてしてないよ、これっぽっちも。ただ俺は俺の罪状だけを気にしている。傷害罪か傷害致死罪か。大きな違いだ。弁護士ドットコムを眺めて近い質問を見つけて、安心できる材料をかき集めようとするが、肝心なところが課金しないと見られなかったので、もちろん課金した。月々1000円程度の出費でこの不安が解消するなら安すぎる買い物だ。

日記「時間=約束を待つ季節」

冬枯れの季節に川の向こうの工業高校をぼんやりと眺めていれば、その学校でどんな考課があるか知らずとも、生徒たちの足並みに解放を感じることは容易い。僕の部屋からは、その工業高校を覆うほどの一本の巨木が窓いっぱいに映る。この部屋に住んで1年、初めて僕は黄色の巨木がまさに裸になる瞬間を目撃する。田舎の鉄塔のように孤独な存在を拵える巨木には服を脱がしてくれる人なんていないと思っていたのだけれども。

枯れ葉が舞い川を超えて1年越しで僕の窓にたどり着く前に、一羽のカラスが弓矢のように勢いよく屋根から木に向かう。カラスはそのまま上へ上へと螺旋階段を上るように旋回し、遂にはこの町で何よりも高い木の先端にたどり着く。先端を見つめると他にもカラスの姿があり、待ちくたびれた少女たちは連れ立って遠くの空へ駆け出していく。

舞う葉とカラスが交差する瞬間は、この季節に約束された永遠のような気持ちがする。1年の季節でおそらく一度だけ目にすることができるその交わりの摩擦が、澄んだ冬の空に広がり、僕の元までも届く。僕は来年もこの瞬間を待ち望む。

この町で最も高かった中野サンプラザというビルディングは再建設のため取り壊しになって、利権や資金の問題で紛糾している間に、そこは黒光りの商業施設になってしまった。ゼロになった時間が地面の底に沈殿している。この場所の時間をじっくり品定めしていた門番たちは、自分たちが記した記録を帳消にして、その藁半紙を差し出した。その上を歩くたびに子供たちは、過去の記録の上に立つ快感に溺れていく。新しさはいいだろう。時間を裏切ることで本当に大切なものが見つかるのだろうから。

しかし、今の僕に限って言えば、時間=約束の不履行をこれ以上積み重ねることはできない。債務超過の状態にある。正確に言えば、債務超過の状態が続き、見かねた朝廷が徳政令を出したのだ。

まあ、君の借金ははっきり言って膨れ上がりすぎて、僕らとしても主人がそんな状態じゃあ示しがつかないので、いったんここでリセットしてあげるから、またゼロから約束をしなさいと。

そんな僥倖に預かったからには、しっかりせねばっていうこともあるし、パノプティコン的な心の目もあるのだろうが、ともあれ時間=約束をして履行を待たないといけない。そういう僕が1年という時間=約束を信じた巨木を前に、向けられるのは羨望の眼差しだけである。しかし、今は時間=約束を待つ季節。新車のような、新居のような、新人のような、匂いがする。春の饗宴の前に密やかに誓うのだ。

黄色の落ち葉が風に乗って飛んでいくから小さな川になる。その小川はちょうど僕の窓のところまで水をもたらし、カラスは泳いで上流へと向かう。僕はその河口にて時間=約束が流れてくるのを待っていた。

創作「爪面のクレーター」

アロミの爪は月面のクレータのようにデコボコとしていて、特段ネイルもしていなかったので光が当たるたびに注視して見つめればその様子が微かにわかるのだが、それは指先で触ってわかるほどものではなかったので、デートしていたタケローという男が「アロミちゃんの爪、月面のクレーターみたいだね」と言われたときに、アロミは恥ずかしくなって、少し腹が立って、最後に心惹かれた。

アロミはそんな複雑な感情を適切に表現する言葉や表情を持ち合わせていなかったため、彼女の伝達神経は渋滞を起こして、本来はつながらないはずの道路がつながったり、伝言ゲームでどんどん真実が書き換わるように間違った情報が伝わってしまった結果、映画館の座席に座ったばかりなのに関わらず、思わず立ってしまった。

「ちょっとお手洗い行ってくるね」

「いいよ」タケローは言った。

別に許可を乞うたわけじゃないのに、承諾だけされたのでアロミは気分がよくなかった。あと、さっきタケローに「タケローはトイレ行くけどアロミも行けば?」と言われたときに、駅で行ったから別にいいと答えた手前、今さら映画館の座席に座った後で衝動的にトイレに行くのは恥ずかしいし、なんならもう予告編が始まっており、映画館の照明は暗くなり始めており、まだ5分程度の予告編が続くことが予想されるものの、真ん中の座席から少なくない人を押しのけてトイレに行くことはやはり落ち込むものだった。

少し明るい通路に出てアロミは立ち止まり、天井を見つめ、3秒待ってトイレのマークを探した。トイレはすぐ見つかったのだが、他のスクリーンで上映が終わった直後だからか、女性トイレには5名ほどの人が並んでいた。外に5人なら中に2人は待っていて、入り口の大きさから、個室の数は3つだろうから、2回転しても順番が回ってこないので、5分の予告が終わる前に座席に戻れないことを確信した。

このまま荷物を置いて外に出てしまおうかと思ったりもしたが、別にトイレに行きたいわけでもないので座席に黙って帰ればよかった。トイレに行ったかどうか説明しなければ嘘をついたことにもならない。しかしアロミは後ろに並んでいる人からなんとなく威圧感、蛇の目のような威圧感を感じて動けずにいた。

動かない列にやきもきして目線を左にずらすと、宣伝用のパンフレットが並ぶラックに交じって、腰ほどの高さの珍妙な台があった。いや、変なのは台そのものではなく、台に載っている爪切りだった。

台に置いてある、というよりは載っているという言葉が似合う大きさの、つまり見たことないほど大きい爪切りだった。その手前には、手書きのポップに可愛らしい文字で”ご自由にお使いください💛”と記されており、その横に写実的なビル・マーレイの似顔絵が書いてあった。

あまりにも何かの罠、トラップのような大きさの爪切りだったが、アロミの神経は無意識化でひそひそ話をし始め、アロミにその爪切りを取らせた。そう奴らの狙いはあのクレーターのような爪を切って、平らにすることだった。

クレーターのような爪は切っても平らにできない。でもアロミの体たちにはそんなことわからないので、彼女に爪切りを取らせた。アロミは巨大爪切りを手にして爪を切ろうとするも、指全体を切ってしまいそうで、怖くて気が進まなかった。

「便利ですね」

後ろから声を掛けられて驚いて振り向いたアロミは、そこに小学生くらいの男子の存在を認めた。その男子の後ろには別の女性が並んでいるので、この男子が女子トイレに並んでいることは間違いないのだが、アロミの頭に立ち上がる様々な疑問を理由に黙りこくるのも男子に悪いので、

「私の爪、月の表面みたいにデコボコしているから切りたいんだけど、この爪切りだと指ごといっちゃいそうでさ」

「小指ならまだしも、小指以外なら洒落になりませんもんね」

「そうだね」

「指がなくなって困るのは、あなただけじゃなくて、あなたの他の4本の指もなんですよ。5本で一緒なので、一人いなくなって影響を受けないほうが変じゃないですか?」

「あなたには指がないの?」

「うん、ないよ」男子は中指が不在の左手を掲げた。

「どっかいっちゃった」

「一緒に探してあげようか」

「すみません、トイレ」

後ろのおばさんがご立腹なご様子で、トイレ空いてるからお前が入れよ、と言っている。でもいまは男子の中指のが大事なので、腰を屈めながらもう一度振り返ると、そこにはポップコーンのゴミが散乱しているだけだった。

散乱したごみを見つけて驚いたように映画館の清掃スタッフが飛んでくる。見つかってはいけないものがそこにあったようにほうきと塵取りで手早く片付ける。

「あ、あの」

「どうかしましたか」

「その中に」

「落とし物ですか」

「あ、ちょっと見せてもらっても」

「何をお探しですか?」

「あ、いや大丈夫です…」

スタッフは私の返事を聞き終わる前にバックヤードに戻ってしまった。

気が付けばトイレを待つ列はなく、すべての映画が始まったのか通路に人の気配はなく、私はタケローの待つ座席へと戻った。

今すぐタケローに話したい。あなたが映画を見始める瞬間に私に起きたいくつもの不思議な話を。そしてそれらすべてがくだらない生活の塵みたいな、一時的な不調和なんだって蹴っ飛ばして抱きしめてほしい。

タケローのことを思うと、私のストレスは軽減され、へこんでいたクレータは隆起し、今になって思えば、それはまさしく新しい天地創造にふさわしい地殻変動だった。これから始まる私の新世界、不思議な男子がその1ページを大胆にも刻んだのでした。

創作「背筋に牛タンの気配」

まあ、俺はラーメンを作ってお客さんからその対価をもらっている、所謂ラーメン屋なわけだけれども、俺のラーメン屋の様子が最近おかしいんだ。

まず、前提として俺のラーメンスタイルについて紹介したい。俺のラーメンスタイルはいたってシンプルなつけ麺スタイルだ。はっきり言って大勝軒なんだ。別に大勝軒で修業したわけでもないし、大勝軒で修業した後に独立した人のお店で修業したわけでもない。とにかくネットで「大勝軒 スープ レシピ」と検索して出てきたレシピを端から端まで家で作ってみた。もちろん最初は大勝軒の味じゃあなかったよ。でも自分でスープを作り、その違いを確かめるために大勝軒のスープを飲み、その違いを言語化し、その違いが何によって生み出されているのか、必死に研究した。

なぜそんなことが可能だったか、今になってもわからない。ラーメンの神様が、いや、大勝軒の神様かもしれない。大勝軒の神様と言えば、あの創業者のおじさんだろうか。あの人は生きているのか…?生きているなら神様じゃないな…じゃあ、大勝軒の神様っていうのは最初から矛盾しているわけだ。しかし、当時の俺はそんな矛盾には気が付かなかったよ。

そして、ある日たどり着いたんだ。絶妙な火加減、熟成加減、特別なタレに含まれる成分の完璧なバランス、すべてが大勝軒のスープだった。その夜、あまりの眩しい現実を前に俺の頭はぱっくり二つに割れたね。ただの水でしかなかったその液体に、複数の動物的・植物的な本質そのものが溶け出して、つまり出汁になって一つになり、地球が生まれてからその球体全域に偏在した数多もの物質を包むような、それ以外の形では決して存在そのものを一瞬たりとも自ら保持できないような、そんな、そんな液体があったんだな。

こんな奇跡に祝福された人間が、それを他人に広めないのは現世における罪である。罪であるよなぁ。俺は元来、人に優しいんだ。

麵の方はチョロかった。とういうか麵に関してはどうでもよかった。大勝軒のお店にある麺が格納された箱に製麺所の名前が書いてあり、そこに電話をすればいい。今すぐ件の麺を毎週100玉納品できるように手はずを整えてくれ。電話一本で解決できることはそれで済ませるのがいいんだ。

まあでもこのままだと本当に大勝軒のラーメンになってしまうので、それはいけないと思い、再び知恵を絞った。絞りに絞った結果出てきたのは、牛タンだった。

牛タンラーメン

うん、聞いたことない。どこかにあるかもしれないが聞いたことがないので、よしとしよう。しかしこの牛タンラーメンってのがどうも今引き起こされている面倒につながっている気がしてならない。

牛タンっていうのはまあだいたい、焼肉において薄く切られているか、仙台の名物であるようにブロックのような形で存在しているわけだけれど、牛タンそれ自体が取りうる形の可能性はもっと複雑にあるわけで、そんなことは火を見るより明らかで、しかしその火を見るより明らかであることに、多くの人は手を出していないわけで、そのギャップみたいなものが、差異を産んで利潤を生むというのがこの現代社会というか、恥ずかしげもなく言っちゃうと資本主義ってわけで。そこに目を付けた俺のラーメンが、一定の人気が出るのは当然っていうか、必然っていうか。

で、やっと本題に入るわけだけど、俺の牛タンラーメン屋に1か月前から学ランの中学生がたむろするようになったのね。

最初は日曜のお昼にさ、家族3人でラーメンを食べに来たお客がいたわけ。で、俺はその家族のことをすごく覚えていてさ、子供の身長が2mくらいあったわけよ。で、それだけならまだしも、せいぜい両親の身長は160㎝くらいだったわけね。さすがにそれってさ、なんかおかしいっていうか、自然の摂理ってやつがあった時にちょっとそこからズレてるよなって反射的にほとんど神経の痙攣みたいなレベルで感じたわけ。あ、でも養子だったり、そのいろんな可能性があるから、もちろん文脈を作ってその現実が現実であることを認める手続きだって想像できるわけ。

でもその日はそれだけ。とかく記憶に残ったのと、俺が焦りすぎて麺を茹でるときにタイマーを押し忘れてしまって、やっぱ俺って麺に興味ねえんだなって落ち込んだことを覚えてるのね。

で、その2mが、次の週の16時くらいに学ラン着て、友達ときたわけだ。で、そこで初めてそいつが学生であることを知ったわけで、連れ合いの友達が明らかに中学生、しかも中学1,2年の風貌だったから、じゃあ推論としてはこの2mも中学1,2年になるわけだ。だって二人はタメ語だったし。

もちろんリピーターってのは重要で、その存在にお店は助けられて存続できるわけで、だからどんなお客さんだって2mだって中学生だって、お金を払ってくれるなら平等で、それでいいはずなんだけど、どうも俺は”背筋に牛タンの気配”(牛の舌で舐められるの意)を感じたわけだね。

で、その二日後くらいに今度はその2mが学ランの友達を4人連れてきた。うちのラーメン屋は二名掛けのテーブルが二つに、カウンターが8席なわけだから、5人で来るとテーブルには案内できず、カウンターを5席占領することになる。ラーメン屋の商売は薄利多売なので回転率が重要であり、そのようなビジネスにとって回転率が命である。ここでひけらかすようなことはしないけど俺はこの回転率にこだわっている。回転率の状態を示す独自の指標を開発し、スープの研究と同じくらい熱を注いだ。

そんな俺の黄金の回転率方程式を崩す唯一の敵が5人以上の客の訪問だ。その時点で俺の”背筋に牛タンの気配”が正しかったことが証明された。

ラーメンが着丼する前に2mは一番端の席に陣取って仲間に熱っぽく説いていた。

「まあさ、ゆっくりしていってよ。広い場所じゃないけど、決して居心地は悪くないからさ。トイレも結構きれいで、あの便器の中に泡が溜まってるやつなんだよ。ここのラーメン、めっちゃうまいから、この前、タケローを連れてきたら、あいつグルメでラーメンにはうるさいだろ、あいつ喜んで2杯目突入しちゃってさ。あいつが2杯目行くのってどれくらいすげーかわかるよね?とにかくここのラーメンはさ、スープは完全に大勝軒でさ、麺は店の奥を見るとさ、あ、お前らは立っても見えないと思う、俺の身長でギリ見えるくらいだから、まあ、奥を見るとさ、大勝軒が麺を取り寄せてる製麺所と同じなんだよね。でもここの店主は大勝軒で修業してたとかじゃなく、インタビューとか読むと、脱サラでいきなりこのお店始めたらしくて、だから結構胡散臭いっていうか、ラーメン界って広いようで狭いみたいなところもあって、暖簾分けみたいなところを意外にしっかり重んじてるから、こういうことすると同業者に嫌われたりするんだよね。」

そうなのか…

「でも、このお店をギリギリのところで、ラーメン屋足らしめてるのが、まさに牛タンでさ。お前ら牛タン食べたことある?牛タンっていうのはさ、大きく分けて2パターンあるわけ。一つは焼肉の時に薄く切られてるって時と、もう一つは主に仙台でブロックみたいに出てくるのね。でも、ここの牛タンはその二つとは完全に異なる路線、第3の道、オルタナティブなのね。そうやって牛タンの可能性自体を切り開いたってこと一点のみでこのお店は、ラーメン屋として繁盛している、まさにねじれているのね。そのねじれの珍妙さが、店主の奇妙な経歴と空前のマリアージュを遂げているわけね。いうなればさ、僕が前教えたRadioheadにね、ロックにエレクトロやジャズ・アンビエントを混ぜ込んで、あくまでバンドサンドとしてのアウトプットにこだわったKID Aという名盤があってね、まさにそういうことをしてると思うんだ。っていうことをさ、この前、ユミチャンと休日にデートしたときに話したっていうかさ、まあ親もいなかったから自分の家に呼んで、大音量でそのKID Aっていうアルバム、全曲聞いたんだよね、そしたらユミチャン泣いちゃってさ~」

こいつ、いまなんて言った?ユミチャンって葛城由美のことか。それは俺が中学生の時に付き合ってた子じゃないか。俺はRadioheadが好きだ。KID Aが好きだ。進歩的な音楽を聴いている自分が好きだった。

でも、俺はユミチャンにRadioheadを聞かせたりしてない。そんなことしない。

ああ、思い出した。俺は嘘をついたんだった。自分が進歩的な音楽を聴いている、文化的に進んだ人間であることをアピールして、つまらない称賛を得て、思春期特有の自意識を慰めていた。そんなことをしても何にもならなかった。みんな嘘だとわかっていただろうよ。

俺の身長はその時2mを優に超え、ラーメン屋の天井を突き抜け、20年以上前にそのラーメンで皆が退屈そうに俺の”ボースト”癖を受け流しているのを見る。

気づいたら俺は草原にいた。その草原は全体的に霧に覆われていて、遠くを見渡すことができなかった。ただ目の前に長いブーツを履いた女がいた。女は白のワンピースを着て、黒の毛布で体をすっぽり包んでいる。彼女は斜め下に伏目がちな視線を送っている。俺と目が合わない。

その奥の方に一頭の牛が見えた。牛は向こうを向いて立っていたが、俺が女からその牛へと緩やかに意識をスライドさせると、それに気が付いたようにこちらを振り向き、その長い舌を、そんなに長いことなど誰にも悟られていないような長い舌を、できるだけ前に突き出して、歯茎をむき出しにして、鼻息荒く笑うのであった。

日記「牛肉」

今日は朝からまぶちゃんがいないので一人で家で仕事をしている。昨日の夜くらいからお昼に何を食べるか考えていた。今週はまぶちゃんがいない日が多いので、計画的に考えないといけない。こういう時に何も考えないと結果的にラーメンを食べてしまう。それはいけない。短期的にはそれでいのかもしれないが、中長期的には週に2度も3度もラーメンを食べる生活はいけない。今はいいんだけど未来にゃ困るよって問題を解決するために計画がある。重要な計画だ。だから前日の夜から考える。そんな私が今日食べたのはケバブ丼大盛mixである。これはラーメンより中長期的に見た際に計画的な食事だと言えるのだろうか。一般的には言えないように思える。そうだとすると、なぜ私は前日の夜から計画を練っていたのに間違えてしまったのだろうか。本当はクリスピーサラダが食べたかった。しかしそんなものは売っていない。この社会にはサラダが足りない。オイリーでアグレッシブなサラダが売ってない。クリスプサラダワークスってあるじゃない。いろんなお惣菜を載せて大きなプレートを彩るタイプの。あれを自宅で作りたいのね。自宅にサラダバーを作りたいのね。いつだってクルトン食べられるようにしたいのね。でもさぁケバブ丼大盛mixの肉とご飯の間にあるキャベツくん、君さぁ、なんでそんなにしなしな?はっきり言って、わかってたよね。アツアツのライスとアツアツのミートの間にいたらボイルされるってこと。サウナブームってこんなところまできて本当に嫌だね。キャベツの火入れには気をつけろって言ったよね?昨日の晩、キャベツのココナッツ風アチャールを作ったんだけど、僕の火入れ、一瞬だったよね?最大限気を使ってたよね?料理は火入れが一番大事って服部調理専門学校でも聞くよね?聞くんだ、そうなんだ。わかった。調理学校に通う友達ができたら、切磋琢磨する感じで自宅もサラダバーにできるかな。そんなことを考えていたら夜ご飯も間違えてしまった。まぶちゃんは牛肉が好きではないので、いつも僕は料理に牛肉を使わない。まあ、スーパーで売ってる牛肉ってお金出さないとまずいっていうかさ、鶏肉→豚肉→牛肉→その他のレア肉って順番で、金をケチれば味が落ちていくのね。鶏肉ってすごいね。鶏肉ってもう火を通したら全部一緒とまで言わなくても、お金をかけても味の天井がある程度見えてくる感じ。上野駅にあるあのすっごい低い天井の感じ。僕が身長が184㎝くらいあるんだけど、もっと大きく見せたいので10㎝くらいヒールのある靴を履いているの。すると大体の天井が低いわけで、それを見ながら鶏肉のことを今後は思い出してしまうかもしれない。えっとなんだっけ、そう、牛肉。いつもは牛肉なんて買わないからさ、たまには買ってみようかなと思って、一人だから。でもマイバスってさ、牛肉がコマ肉みたいなのしかないのね、驚いたね。徹底してフィルター掛けられてると思ったよ。店内にね。僕さ、毎日エクセルのフィルター掛けてるからさ、感じるんだよね。あ、これはフィルターかかってるなって。100g500円以上とかになる牛肉はフィルター解除しないと出てこないなって。だからさ、肉売り場で1分迷ったんだよね。これ、牛肉買うべきかな。買わないべきかな。フィルター解除して条件付き書式もクリアしようかなって。固まって、おばちゃんの邪魔になって。最後は意志の力で買いましたよ。牛肉。でさ、夜、料理しようと思ってどうしようかなって、うーんまあこれは、牛しゃぶんなんていっちゃいますかと、準備しますね!しゃぶしゃぶを茹でるときは、水1リットルに対して、料理酒と塩を入れると臭みが取れるので、投下します。私は牛肉を一つ投下して、その火の通るスピードの遅さを眺めていました。これはおかしい。遅すぎる。もしかしてこの肉はしゃぶしゃぶに向いていないのではないか。しゃぶしゃぶにしては遅すぎる加熱を待って、恐る恐る私は肉を食べました。まずい。牛肉独特の臭みとぼろぼろとこぼれる肉片。牛さん、牧畜業のみなさん、本当にごめんなさい。悲しい気持ちになった。今夜僕は何を食べればいいんだろうか。途方に暮れる。牛肉 コマ肉 レシピ 検索。あーペッパーライス風ライスか…うん、これにしよう。濃い味付けでいろいろなかったことにしよう。牛さん、ごめんなさい。冷蔵庫にあった野菜やキノコ類を炒め、味付けした牛肉とソースで炒め、バターを垂らしてご飯に着丼。ああ、あんまりおいしくなさそうだ。悲しいな。おいしい料理が作れないと、僕はとても悲しくなる。食べた。まあおいしいわけではないけど、特にまずいってこともない。ああ、まぶちゃんがいないからおいしくないってのもあるだろう。実家を出てすぐまぶちゃんと暮らし始めたので、一人暮らしだった期間がない僕は、一人の食事に耐えられず、よく外食をする。まあでも、外食ばっかってなんか計画的じゃない、その日暮らしの、放蕩息子みたいな、そんな感じがあってできないんだな。本当は頻繁に外食して、しかも特定のお店に繰り返し通って、店主と仲良くなって、友好的な交友関係的な絆を築きたかった。そういう関係をたくさん持つ人が、すごくうらやましいと思う。そういう人たちは、1日の料理のことをこんなにうるさく思わないはずだ。

2024のランキング

友人と会うため今年のランキングです。

 

ベストソング

ぶぎ・ばく・べいびー/小沢健二

Holy,Holy/Geordie Greep

Sticky/Tyler, The Creator(feat. GloRilla, Sexyy Red & Lil Wayne)

She’s Gone, Dance On/Disclosure

mountaind D/Dos monos

 

ベストアルバム

Planet Pearl/Pearl & The Oysters

Charm/Clairo

Chromakopia/Tyler, The Creator

In Wavs/Jamie XX

A Dream is All We Know/The Lemon Twigs

The New Sound/Gerodie Grrep

 

ベストライブ

Sampha@FUJI ROCK 2024

turnstile@FUJI ROCK 2024

king krule@FUJI ROCK 2024

jamie xx@toyosu PIT

Lamp東京キネマ倶楽部

 

ベスト映画新作

墓泥棒と失われた女神/アリーチェ・ロルヴァケル

アイアンクロー/ショーン・ダーキン

青春/ワン・ビン

Super Happy Forever/五十嵐耕平

チャレンジャーズ/ルカ・グァダニーノ

THE PENGUIN/マット・リーヴス

Disclaimer/アルフォンソ・キュアロン

 

ベスト映画旧作

もののけ姫/宮崎駿

self and others/佐藤真

DEEP END/イエジ―・スコリモフスキ

Stop making sense/ジョナサンデミ

早すぎる遅すぎる/ストローヴ・ユイレ

 

ベスト小説 

同時代ゲーム/大江健三郎

族長の秋/ガルシアマルケス

愉楽/閻連科

ギリシャ語の時間/ハン・ガン

12月の5日間/ジョージ・ソーンダース

 

ベストその他

連続読み徳川天一

日本現代美術私観•高橋龍太郎コレクション

アレックスカネフスキー@104galerie

21世紀のストロービアンインターナショナル@せんだいメディアテーク

ベンガルタイガーのカンナ

相続税¥102006200/東葛スポーツ

 

 

 

 

三隈研次「斬る」(1962)

三隈研次の「斬る」を見た。冒頭から異常なカットの切れ味があり、全編にわたって日本家屋の魅力を幾何学的に捉え、映し出している。また70分という時間も異常そのものであり、物語は狂ったスピードで展開していく。例えば主人公が浪人になったあと、幕府大目付から信頼されるまでの展開が数カットのうちに展開される。常に完璧な構図に収まる静謐な画面に対して、ふざけたスピードで省略され進む物語のアンバランスさこそこの映画の魅力であった。時折、メキシコの荒野やヨーロッパの田舎を彷彿とされるような自然のロケーションが映し出され、その引きの画面の中を小さな人間たちが歩くさまをカメラは遠くから捉えている。そのスケール間は台湾の街で生きる若者を見つめたエドワードヤンの目線に近いものを感じた。いい映画であった。